奈良井宿について

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奈良井宿の見所

中山道六十九次の中で、東海道と共有する草津・大津宿を抜いた純粋な中山道六十七宿中(板橋から守山まで)、奈良井宿は江戸側の板橋宿から数えても京側の守山宿から数えても34番目に位置する、中山道の丁度真ん中の宿場町です。
木曽11宿の中では最も標高が高く、難所の鳥居峠を控え、多くの旅人で栄えた宿場町は「奈良井千軒」と謳われました。

奈良井宿は日本最長の宿場町であり、中山道沿いに南北約1km、東西約200mの範囲で南北両端に神社が、町並みの背後の山裾に五つの寺院(奈良井五ヶ寺)が配され、街道にそって南側から上町、中町、下町の三町に分かれています。 昔は中町に本陣、脇本陣、問屋などが配置されていました。
上町と中町の境には「鍵の手」と呼ばれるクランク形状の道路があり、中町と下町の境は横水という沢で区切られています。 下町には桝型という桝のように四方形に石垣や土塁を築いた場所が設けられています。

この「鍵の手」は下町の桝形と同様に、宿場内に道の屈曲を作り、敵の直進と見通しを防ぐという宿場町を守るための施設として機能していました。NHK連続テレビ小説「おひさま」のロケ地として使用されたことで有名です。
現在も重要伝統的建造物群保存地区として、地元住民の協力の下、当時の町並みが大切に保存されています。

鍵の手写真

鍵の手

木曽の大橋写真

木曽の大橋

鎮神社鳥居と神木(スギ)写真

鎮神社鳥居と神木(スギ)

水場写真

水場

上問屋資料館写真

上問屋資料館

庚申塚・水場・重伝建選定碑写真

庚申塚・水場・重伝建選定碑

奈良井宿建築様式の特徴

出梁造り

二階を少しせり出した出梁(だしばり)造り、入口にはめられた大戸、そして日常の出入りにつかうくぐり戸、入口の横のしとみ戸、二階の手すりの真黒くすすけて落ち着いた格子、その両脇につけられた白漆喰の袖うだつ、各部にさりげなくそえられた彫物、これらはすべて奈良井に残された宿場の建築です。そして、長くのびた軒の小屋根((庇(ひさし))をおさえた猿頭(さるがしら)と呼ばれるサン木は格子やしとみ戸とよく調和して他においてはみられない深い味わいをかもし出しています。

出梁造り図

文部省選定重要伝統的建造物保存地区として

奈良井は文化財保護法の中に定められる、「伝統的建造物群保存地区制度」によって町並みが保存されている地区です。
町並みを保存していくため、保存地区内では、新築、増改築、修繕、色彩変更等、外観に影響する現状変更に関しては許可が必要です。
また、伝統的な建築物はその特性を維持するため、変更に際しての規制があり、新築に際しても周囲の町並みと調和するような様々な基準が設けられています。

古きよき伝統を伝える行事・珍しい大名行列「お茶壺道中」

お茶壺道中について

毎年開催されている奈良井宿一番の大きな祭「奈良井宿場祭」は、6月第1金・土・日に行われます。江戸時代、京都宇治から徳川家へ献上されるお茶が中山道を行列しました。この格式高い行列を「お茶壷道中」と言います。奈良井宿場あげての盛大なお祭です。お茶壷道中の行列は毎年6月第1日曜日(午後12時30分~午後4時)のみとなります。多少の雨ならば決行いたします。本物の宿場街ならではの大名行列です。

お茶壺道中写真

「ずいずいずっころばし〜」の唄の由来

「ずいずいずっころばし」

ずいずいずっころばし ごまみそずい

茶壺に追われて とっぴんしゃん
抜けたら どんどこしょ

俵のねずみが 米食ってちゅう
ちゅうちゅうちゅう

おっとさんがよんでも おっかさんがよんでも
行きっこなしよ

井戸のまわりで お茶碗欠いたのだぁれ

<歌の意味>
胡麻味噌を摩っていると、お茶壺道中が来ると言うので、家の中に入り戸をピシャリと閉めて(=トッピンシャン)やり過ごす。
お茶壺道中とは新茶を将軍に献上する行列のことで、切捨御免の時代柄、庶民は粗相の無いように細心の注意を払っており、子どもたちは両親に呼ばれても決して外に出てはならないと教えられた。
そしてお茶壺道中が通り過ぎるとやっと一息つけたのである(=ぬけたらドンドコショ)。
ところで家の中で息を潜めていると、米を齧っているネズミの鳴き声や、井戸の近くで茶碗が割れたような音まで聞こえてくる。
(ウィキペディアより)

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